1950年から1970年にかけての日本の景気、とその後。
半年くらい前にググって書いたメモ書き。
90日間以上更新していない云々という文言が目についたので、ここに置いておこ。
日本の景気
このページが手頃な具合にまとまっていると思うので、おすすめです。
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朝鮮特需:1950年〜1954年
概要戦後不況から脱出
神武景気:1954年11月〜1957年6月
朝鮮特需によって日本の経済規模が拡大したため
なべ底不況:1957年7月〜1958年6月
経常収支赤字、外貨準備高が底をつきそうだったため、公定歩合を引き上げた
なべ底不景気に陥った産業
- 石炭
- 海運産業等
なべ底不景気に陥らなかった産業
- 電気機械
- 精密機械
- 自動車
なべ底不景気から脱出した産業
- 鉄鋼
- 化学
- 石油精製等
岩戸景気:1958年7月〜1961年12月
- 重化学工業の技術革新
- 民間の設備投資加熱
- 産業の高度化
- 証券市場の急速な成長
- 「銀行よさようなら、証券よこんにちは」というフレーズが流行るほど
(投資信託の残高は1961年に4年前の約10倍となる1兆円を突破
オリンピック景気:1962年11月〜1964年10月
- 新幹線や高速道路などの交通網・会場施設などのインフラへの投資
- オリンピックに起因するTVや旅行の需要増
証券不況:1964年11月〜1965年10月
- オリンピック終了
- 金融引き締め
- 重工業の不振の煽りをうけて証券市場もハイレバ運用で自爆
いざなぎ景気:1965年11月〜1970年7月
所得水準の向上によって、エアコン(クーラー)の購入も増加し、車 (car)、エアコン (cooler)、カラーテレビ (color TV) が3C(新・三種の神器)と呼ばれ、消費の大幅な伸びも見られた。いざなぎ景気の間に日本経済は大きく拡大し、世界第二の経済大国となった。
1960年代アメリカドルはベトナム戦争等によって弱体化の一途をたどり、ついに71年8月、金とドルの交換を停止し、同年12月スミソニアン合意(正しくは『スミソニアン協定』というようです) で1ドルが308円の新為替レートになった。
しかしドル危機は解消せず、73年2月変動相場制に移行して現在に至る。
円高不況:1970年代以降
そして『失われたn0年』に至る、と。
追記: 2020/11/04
円高不況が元凶のような印象”だけ”を与えてしまうかもしれないという懸念からいま追記しています。
1997年に『アジア通貨危機』という貨幣価値が実態と乖離している通貨を標的にヘッジファンドによる大規模な空売り攻撃がありました。
もし、日本もその頃まで $1 = 308 円 というレートで固定していたとしたら、恐らくヘッジファンドの標的にされたでしょうし、仮に円高不況を回避出来たとしても代わりに何か起きていたかもしれません。
一概に「〜が不況の原因だ!」と断ずる事のできるものではないと私は思っております故、自身の不勉強を反省しつつこの補足を書いている次第です。
以下に分かりやすい解説をなされているサイトへのリンクを記載しておきますので、よろしければご覧になってください。
スミソニアン協定(ニクソン・ショック)について解説しているサイトです:
日本が完全な変動相場制へ移行することになった『プラザ合意』について解説しているサイトです:
アジア通貨危機について解説しているサイトです:
1945年から2011年にかけてのドル円レートが書かれているサイトです:
http://yasuma-guitar.com/ensouba.html