『悪法もまた法なり』これが本当にソクラテスの発言なのか調べてみた
『善く生きる』ことを重んじたソクラテスは理不尽な死刑判決を受け入れ毒杯を煽り死んだ。その間際、ソクラテスは『悪法もまた法である。』という旨の発言をしたのだ・・・と、私は学生の頃に習いました。
当時私は、「悪法なら直せよ『善く生きる』とか言っておきながら、問題を放置して自殺してんじゃねーよ。つーかこんな胸糞悪い話をさも美談みたく語ってんじゃねーよバカが。」などと思いながら授業を聞いておりました(中学生まっ盛りですね、笑)。
もし、ソクラテスや彼を慕う人たちにそんな事を言おうものなら「それができるならやっとるわボケ!」と怒られたことでしょうし、教師に言おうものならこれもまた怒られたことでしょう(笑)。
ところが最近、この『悪法もまた法なり』という言葉の出典はソクラテスではないという説を知りました。これはもう調べるしかない、というトキメキを感じました。
調べたもの
※一次資料を調べた訳ではないです、あしからず。
とても読みやすく、良い本でした。オススメです(新品で買うしかない!)。
結論
結論1/2:『悪法もまた法なり』という言葉はほぼ日本製である
『悪法もまた法なり』、『悪法も法である』という諺の出典は恐らく"Dura lex, sed lex"("The law is harsh, but it is the law":「法は過酷であるが、それも法である」というラテン語の法諺を日本語に意訳したもの。
ソクラテスの裁判資料を精査した『加来彰俊』の著作『ソクラテスはなぜ死んだのか』にも
「ソクラテスが『悪法も法なり』と言った証拠は何処にもない」と記載されている。
少なくともソクラテスが "Dura lex, sed lex" という様な諺めいた言葉を遺したという記録はない、ということです。
結論2/2:ソクラテスと『悪法もまた法なり』という言葉を絡めて悪法への盲従を促すことは本義的ではない
理由1/3:ソクラテスが死刑になるまでの経緯
ソクラテス(70歳、恐妻家、貧乏)は政治家や作家や職人など見識を有していると自負する人たちを訪ねては問答を仕掛けては矛盾を追求しまくり、論駁(論破)しまくっていた。
その結果、方々から恨みを買い『神々に背き、若者たちに妙なことを吹き込み堕落させ、更にその見返りに金銭を享受した云々』という具合の罪で裁判に掛けられ死刑になった。
論駁されたからと逆恨みして人を死刑に陥れる連中は間抜けの最上級だけど、ソクラテスも大人気ない(笑)
ソクラテスにしたら他意はなく、ただ実直に吟味しながら会話をした結果に過ぎなかっただろうけれど。
画像の中央の台に腰掛けて盃を受け取っているのがソクラテス。
絵だけを観ると悲壮感が額から溢れてきそうな感じですが、
ソクラテスが毒杯を煽り死亡するまでの様子をまとめた『パイドーン』を読んだ限りでは、
ソクラテスがエウエーノスという名のその場にいない人に宛てて「なるべく早く僕のあとを追ってくるように。」
などという黒すぎる伝言を(恐らく半分くらいは冗談で)残そうとしたり、魂の不滅性について議論するなど、
服毒の直前まで割と普通に談笑していた様です。
・・・こんないろいろ拗らせたネラーを煮詰めた様な正義感の強い実直なお爺さんの悲劇的な逸話を引き合いに出して「ルールはルールだから守ろうね」などというのは、ただの脅迫逆恨みを理由にソクラテスを死刑にしたという当時の非人道的な行いを肯定するようなもの、と私は考えます。
※ソクラテスの事を相手を言い負かす事に固執した『2ちゃんねらー』の様に私は書いたりしておりますが、それらはあくまで冗談です。
理由2/3:ソクラテスが『悪法もまた法なり』という旨の発言をした経緯
牢獄の中でソクラテスはクリトーンから持ちかけられた脱獄の提案を丁重に断る(説得する)なかで『悪法であっても法律なので従うべきである』という旨を語る描写は確かに存在しています。
ソークラテース「〜お前は、一国のうちにあって、いったん定められた判決が、少しも効力ももたないで、個人の勝手によって無効にされ、滅茶苦茶にされるとしたならば、その国家は、転覆をまぬかれて、依然として存立することができると、お前は思っているか〜」
新潮文庫『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』平成七年 五十一刷 P.89 クリトーン より抜粋
しかし、この発言の論拠として「国家は国民に対してどのような事をしても許される。」という旨の理屈をソクラテスは語っており、もしソクラテスを絡めて『悪法もまた法なり』などと語るのは人権が発明されて久しい現代の倫理観にそぐわぬ行いであると私は考えます。
それに加え、ソクラテスが死刑を受け入れた理由はこれだけではない様です。他の理由については次の『理由3』で紹介します。
理由3/3:ソクラテスが死刑を受け入れるという選択をするに至った動機
もし現代に『クリトーン』しか残っていなかったら、今の通説である『悪法も法である』という様な形で認知されている事に違和感は少なかったと私は思います。
しかし『ソークラテースの弁明』と『パイドーン』も併せて読めば、ソクラテスが悪法(下された死刑判決)だけを重んじて毒杯を煽ったわけではない事が伺えます。ソクラテスの死に対する見解や彼の意思決定の原則を抜粋して紹介しますので、興味のある方はご確認ください。
これらからは、彼が既存社会の権威たちにとって脅威となったから死刑に陥れられた被害者である事と、彼がもっとも重んじたのは実直な正しさであったこと、くらいは読み取れるはずです。
なぜなら、死を恐れるということは、いいかね、諸君、知恵がなにのに、あると思っていることにほかならないのだ。なぜなら、それは知らないことを、知っていると思うことだからだ。なぜなら、死を知っている者は、誰もいないからです。ひょっとすると、それはまた人間にとって一切の善いもののうちの、最大のものかもしれないのに、彼らはそれを恐れているのです。つまりそれが害悪の最大のものであることを、よく知っているかのようにだ。それいてこれこそ、どうみても知らないのに、知っていると思っているというので、いまさんざんに悪く言われた無知というものに、ほかならないのではないか。しかしわたしは、諸君よ、その点で、この場合も、たぶん、多くの人々とは違うのだ。だから、わたしのほうが人よりも、何らかの点で、知恵があるということを、もし主張するとするなれば、わたしはつまりその、あの世のことについては、よく知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っているという点をあげるだろう。これに対して、不正をなすということ、神でも、人でも、自分よりすぐれている者があるのに、これに服従しないということが、悪であり、醜であるということは、知っている。だから、わたしは、悪だと知っている、これらの悪しきものよりも、ひょっとしたら、善いものかもしれないのもののほうを、まず恐れたり、避けたりするようなことは、決してしないだろう。
新潮文庫『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』平成七年 五十一刷 P.37-38 ソークラテースの弁明 より抜粋
ソクラテス「死んだ事がある奴なんて誰もいないし、死が善いものか悪いものかなんて誰も知らないのに、なぜ怖がる必要があるのか。」
〜人は死ねば、誰でもかしこへ行くという、言い伝えが本当だとするならば、これよりも大きい、どんな善いことがあるでしょうか、裁判官諸君。なぜなら人はハーデースの住居に行きつけば、この世の自称裁判官たちから解放されて、本物の裁判官が見られるというのであれば、すなわりミーノースとか、ラダマンチュアとか、アイアコスとか、トリブトレモスとか、その他、その生涯において正義の士であった半神たちが、ちょうどまた、かの世で裁判をしていると言われているのですが、もしそうなら、この道行は、果たしてつまらないということになるだろうか。あるいはまた、オルペウスやムーサイオス、ヘーシオドスやホメーロスなどと一緒になることを、諸君のうちには、どんなに多くを払っても、受容(うけい)れたいとする人があるのではないだろうか。というのは、わたしは、いま言われたことがもし本当なら、何度死んでもいいと思っているからです。わたし自身にも、その暮らしは、すばらしいことになるんでしょうからね。
新潮文庫『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』平成七年 五十一刷 P.65 ソークラテースの弁明 より抜粋
ソクラテス「死ねばテメェらみたいな図々しくも裁判官を自称する厚顔無恥な糞バカどもの面を見なくて済むし、すでに他界した過去の偉人に会えるかもしれないから、むしろその方がいいかもな。」
こんなことを法廷でしかも裁判官の目の前で言ったのだから肝が座ってる。
〜なすべきか否か、僕たちは検討してみなければならないのだ。というのは、僕という人間は、自分でよく考えてみて、原則論として、これが最上だということが明らかになったものでなければ、他にどんなものが僕にあったとしても、それには従わないような人間なのであって、これは今に始まったことではなくて、いつもそうなのだ。だから、いままでに僕が言っていた原則的な原論を、僕がこういうまわり合わせになったからといって、いまさら放棄することはできないのだ。
新潮文庫『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』平成七年 五十一刷 P.78 クリトーン より抜粋
上記はソクラテスが牢獄のなかで、クリトーンから持ちかけられた脱獄の提案に対して語ったことであり『理由2』で紹介した抜粋箇所の大前提に当たる部分です。
〜正というものをさしおいて、それ以上に重く見るようなことをしてはいけない。そうすればお前は、あの世にいってからも、あの世の治者たちに、それらのすべてについて、身の潔白を明らかにすることができるだろう。
新潮文庫『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』平成七年 五十一刷 P.99-100 クリトーン より抜粋
ソクラテス「もし、死刑を免れるために不正を働けば、あの世の治者(過去の偉人たち)に会わせる顔がない、しかしここで私が信じる原則を貫けばあの世でも堂々としていられる。」
ソクラテスは一貫して『死は災悪』と断じておらず、『パイドーン』では一人の哲学者としてそれを心待ちにしている節すらあるのです。決して、『悪法もまた法なり』などと苦い薬をしかめっ面で飲みくだす様に嫌々死んでいった訳ではありません。
感想
「ソクラテスは『悪法も法である』という理由で法を遵守し、死んだ。」
・・・などと吹聴するのはソクラテスの様な犠牲者を、ソクラテスの死から2500年近く経った現代にも作り出さんとする悪意を持っていると疑われるか、知りもしない事を知った顔で流布するような人間性なのではないかと疑われても仕方ないほどの愚行だと私は思います。
以下、ググってみつけた参考元やメモなど
まず『悪法もまた法なり』という言葉の出典について検索してみました。その結果、下記の『教えて!goo』に寄せられた質問への回答を見つけました。
その回答者の方いわく、
法諺(ほうげん。法律がらみの格言・ことわざ)といわれるものですね。ラテン語で "Dura lex, sed lex"("The law is harsh, but it is the law":「法は過酷であるが、それも法である」)
との事でした。
国立国会図書館のサイトにも似た様な質問が掲載されており、こちらでも『法律ラテン語格言辞典 柴田光蔵/著 玄文社 1985.6 P.306』に記載があるという事が書かれています。
・・・ソクラテスが言ったかどうかはさておき、ラテン語の法諺にも似た様なものが在るというのは事実の様です。
しかし、『法は過酷であるが〜』という文を『悪法も〜』と訳してしまうのは少し無理があるのではないかと、私は思います。
下記の書籍には、ソクラテスの裁判資料を精査した『加来彰俊』の著作『ソクラテスはなぜ死んだのか』にも
「ソクラテスが『悪法も法なり』と言った証拠は何処にもない」と記載されています。
下記のWikipediaのソクラテスのページにも『悪法も法である』という発言についての言及はなく、ソクラテスが死を選んだ理由については下記の様に解説していました(2016/11 現在)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ソクラテスja.wikipedia.org
『ソクラテスの弁明』の続編である『クリトン』において、死刑を待ち、拘留されているソクラテスに逃亡を促しに来た弟子のクリトンに対して、彼は「国家」「国法」という架空の対話者を持ち出し、「我々の庇護の下でおまえの父母が結婚し、おまえが生まれ、扶養され、教育された。祖国とは、父母や祖先よりも貴く、畏怖され、神聖なものである。また、この国家(アテナイ) が気に入らなければ、いつでも財産を持って外国や植民地に移住することが認められているのにもかかわらず、おまえは70歳の老人になるまで、ここに留まり、家庭をもうけ、ほとんど外国に行くことすらなかった。したがって、我々とおまえの間には合意と契約が成立しているのにもかかわらず、今さらそれを一方的に破棄して、逃亡を企てようというのか?そのような不正が許されるのか?」と彼自身を非難させ、クリトンに逃亡の説得を諦めさせた
また、同ページでは上記の逸話が『社会契約論』の起源になったと解説しております。
経緯は判然としませんが、どうやらこの『ソクラテスが毒杯を煽った逸話』に先述の『ラテン語の法諺』が混入された形で広く認識されてしまっている様ですね。
ググってみてわかったこと
おまけ:ルソーの『社会契約論』から『悪法』について
ルソーの『社会契約論』から『悪法』について触れている部分の抜粋を紹介して、この記事を締めたいと思います。
ルソー「社会契約論」(=「政治の諸原理」*)第3編15章「代議士について」抜粋
立派に運営されている都市国家では、各人が集会へ飛んでいくものだが、悪い政府の下にあっては、誰もそんなところへは一歩も足を向けたがらない。なぜなら、そこで行われていることに、誰一人関心を持つ者はいないし、またそこでは一般意思(人々の理想的合理的意思、と読んでいい)が重きをなさないことが初めから分かっており、結局煩雑な家事(優先)のために、すべて(政治)は捨てて顧みられなくなるからである。
良法はいよいよ良法を生み、悪法はさらに悪法をもたらす。ひとたび誰かが国事(政治)について「おれの知ったことか」と言い出したら、国家の命運はもはや尽きたものと観念すべきである。
中公「世界の名著」版、1966年、平岡昇責任編集・井上幸治訳より
ここまで読んでくださった方にお礼を申し上げます。ありがとうございました。